45歳から目指す55歳セミリタイア もっぷるのブログ

セミリタイアを目指す過程と、その中で思ったことを書くブログです

高齢者と働くために考えたこと

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

今日は最近まで悩んでいた仕事での人間関係について書きます。

 

私は仕事が早い方ではないし、同時進行でいろいろな所に目を配るのも苦手。私なりに真面目に仕事に取り組んでいても上司や先輩に注意されたり、言葉にしないまでも態度で意地悪をされたりすることはたくさんありました。20代~30代は職場の人間関係にいつも悩んでいて、いつも不安で悲しい気持ちがありました。

 

若い頃の私は、能力が低いことに加え、今流行のHSP(繊細さん)気質なところがあって、周囲の人の機嫌に振り回されて右往左往することが多くて、自分自身の精神状態も不安定になってしまうことがよくありました。友達といる時にもいろいろ気を使い過ぎて疲れたり、沈黙になるのが怖くてしゃべりすぎて疲れたり、私がしゃべりすぎるせいで相手を疲れさせてしまうこともあるような、ちょっと困った人でした。

 

30代で介護福祉士社会福祉士の資格を取得して、人間の発達や心理学を学んでいく中で、自分のことを良く知ることが出来たし、他の人の精神状態にも目を向けられるようになりました。ただ、そのせいで今は誰と会っても聞き役になってしまって、自分の話をできなくなってしまったことが少し悩みです。

 

以前は人の悲しみや怒りに触れると、全て自分のせいだと感じてしまって、とにかく人の感情を勝手に感じ取って勝手に振り回されるという自分の厄介な性格が自分を苦しめていました。しかも、自分の辛いという感情を人に知られるのが嫌で、いつもニコニコ平気な顔をする癖があって、本当に自分という人間に疲れていました。

 

福祉の仕事に就いてから、知的障がい、精神障がい、認知症など脳と心の病気を患った方とたくさん関わってきましたが、病気と診断されていなくても、認知のゆがみみたいなものは誰にでもあって、特に「自分が感じていることと他人の感じていることは違う」ということが分からなくて苦しんでいる人が多いことに気付きました。

 

読書が好きな方なら、心理学の本でもビジネス書でも、「他人を変えることはできない」と書かれているのを読んだことがあると思います。それからこの文章もいくつかの本に出てきて、忘れないように大事にしているのですが、「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」という文章で、様々な本で引用されていますし、過去に職業訓練でPCを習いに行っていた時も、福祉の専門学校の授業でも、先生がこの文章を取り上げていて、この文章に触れるたびに、私もこうありたいと思います。

 

人は自分の価値観だけで物事を考えてしまいがちですが、相手には相手の思惑で変わりたくない。変える必要がないと思っているかもしれないのだから、考えを押し付けてはいけないし、無理やり変えようとすることは間違っている。頭ではわかっていても実践するのはとても難しいことです。

 

最近、本業の会社でも副業の福祉関係でも、定年退職後に新たに働き始めた年長者と仕事をする機会が多くなりました。私が社会人になって27年ですが、その倍近く働いてきた方たちなので、様々な人間関係のトラブルを乗り越えてきたと思います。それなのになぜか、自分から人間関係をこじらせて最後には居づらくなって退職してしまう人がいるのです。

 

退職に至るまで対面や電話で何度も悩みをお聴きして、私が感じたのは自分のミスや自信の無さを、他者を悪く言うことでごまかそうとして、どんどん周りを敵にしてしまうということです。そんなことでは信頼関係が築けないのは分かり切っているのになぜそうなるのか私なりに考えていて、高齢期のパーソナリティーの5類型みたいなものを読んだのを思い出して調べてみました。

 

高齢期のパーソナリティーには円熟型、安楽椅子型、自己防衛型、外罰型、内罰型の5種類があって、文字からだいたい分かると思いますが、簡単に言うと円熟型は全てを受け入れて安定している状態。安楽椅子型は老いに甘んじて他者を頼っている状態。自己防衛型は老いを受け入れないために自分を守ることに必死な状態。外罰型は老いを隠すために他の人を罰して(ミスを指摘したり悪口を言う等)自分の価値を高く見せようと踏ん張っている状態。内罰型は老いてしまったことに落胆して自分を責めている状態で、それぞれの型どれかに当てはまる訳ではなくて、その日その日の体調や出来事によってそれぞれの型を行ったり来たりするものです。

 

私は祖父が88歳で、祖母が98歳で他界しましたが、私が結婚するまでは実家で一緒に暮らしていました。祖父は完全に円熟型で、アルバイトに庭仕事、家の掃除もよくしていて、いつも穏やかに家族を助けてくれました。町内会でも頼りにされて、お通夜には会場に入りきれないくらい友達や近所の方が来てくれました。そんな祖父でもやはり、時には些細なことで怒って家族をびっくりさせたこともあったので、やはり晩年は5つの型を行き来していたのだと思います。

 

祖母は80代までは元気過ぎるくらいだったのが、90代で認知症になってからは、時間帯によって穏やかに過ごせる時もあれば、自己防衛型から内罰型までを行き来して、怒ったり泣いたりたいへん苦しそうな時もありました。元気で世話好きだった祖母が認知症になったショックが大きく、私も家族もなかなか受け入れられずに悲しみや怒りが湧いてくることもありましたが、たまたま専門学校でこの5類型を勉強したことで、祖母の1日の中で目まぐるしく変わる精神状態を、少し冷静に見ることが出来たことを思い出しました。

 

感情のコントロールを失って退職していく高齢者の方たちは、一見元お元気だし、気が強くてわがままなように見えます。自分の事を棚に上げて他の人を悪く言う姿は見ていて気持ちの良いものではないし、とにかく自分を褒めたたえてほしい一心なように感じて、いい歳をして承認欲求の塊みたいな発言ばかりすることに少し呆れていましたが、そういう私の考えは間違っていたと思います。老いを受け入れていく過程でゆらぎの多い自分を保つために必死な状態であると考えたら、私もどう支えていったら良いか方法を考えられるような気がしてきました。

 

まだ具体的に体系だったことはできていませんが、現実問題本業でも副業でも高齢者のパートさんたちは貴重な存在だし、せっかく一緒に働くならなるべく楽しく働いてほしいと思います。高齢者のそういう揺れ動く心に寄り添うには、かなりの精神力が必要ですが、少し知識があるだけで、相手を思いやることができるし、自分の心を守ることができると思います。

 

老害」という言葉が大嫌いなのですが、以前は高齢の方が自分を卑下して「老害」という言葉を使っていたと思います。それを最近は若い人が使っているのを見ると、とても悲しくなります。同じ理由で「オワコン」という言葉も嫌いです。そういう言葉を使う人は自分も必ず老いて死にゆく人間だということを忘れているか、考えないようにしているのかもしれません。まあ他の人の考えは変えられないので置いておいて、私はなんとか円熟型のおばあちゃんになれるように、終わりを意識しながら今を大切に生きていきたいと思います。