45歳から目指す55歳セミリタイア もっぷるのブログ

セミリタイアを目指す過程と、その中で思ったことを書くブログです

私の家計管理を乱すコストコさん

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

セミリタイアを目指すブログと名付けておきながら、お金意外の内容を書きがちな私ですが、今日はセミリタイアを目指すのにも欠かせない家計管理について書きたいと思います。みなさん家計管理はどうしているでしょうか?家計簿も今はマネーフォワードなどのアプリを使っている方が多いかもしれませんね。

 

私の家計管理は、新婚時代は主婦向けの雑誌についてきた手書きの家計簿(全然つかいこなせなかった)でしたが、その後は手帳で支出だけメモしていたり、インターネットで無料で利用できたココマネというサービスを使っていた時期もありました。デザインがかわいくて自動で集計されるのが便利で何年もお世話になったココマネのサービスが終了してしまってからは、だいたい予算の範囲内でやりくりできるようになっていたので家計簿をつけない時期もありました。

 

会社員をやめて夫の会社を手伝うようになって、事業の資金繰りと家計の管理、更に夫の親の借金返済と介護費用とたくさんおお金の流れを把握しなければならなくなって、最初は大混乱しました。特に夫の父が自営業だったために、個人の口座で仕事のお金も動いていて、税金の請求などもいつどれくらい来るか把握できていなかったので、いつもハラハラドキドキしていました。その当時からお世話になっている銀行の担当者さんからは、私がここまで立て直せるとは思っていなかったといつも言われます。

 

夫の自営業から法人成りするタイミングで、夫が代表取締役、私も資本金を入れて役員になることで、会社のお金と個人のお金をきっちり分けて分かりやすくしました。それでも何年かは、会社で使うお金が個人の口座から引落になっていたり、父の名義になっていたりしてスッキリするまでには数年かかりました。

 

無事に法人成りして役員報酬を受け取るようになってから、自分で作ったExcelの表で家計簿をつけるようになりました。自分で作ったほうが項目も自由だし、Excelは仕事でも使い慣れているのでこのやり方が私にとっては一番良いみたいです。特に最初の頃は仕事で使ったお金の引落が父、夫、私の口座からも出ていて自分で作った表でなければ管理できなかったと思います。

 

Excelの家計簿は同じシート上で月単位の予算を管理するものと年単位の予算で管理するものに分けています。月単位は食費、外食費、日用品費、夫と私のお小遣い、引落になる固定費など毎月必ず使うもの。年単位は旅費、被服費、冠婚葬祭費、家具家電費、医療美容費、予備費に分けています。

 

カードで支払いしたものの扱いは、以前は分けて記録していましたが、費目ごとの予算管理ができればOKなので、今は現金と同じように入力して、現金とカード合わせていくら使ったかを把握するようになりました。カードで会社の物を購入することもあるので、必ず明細か領収書をもらって会社の物は帳簿に、個人の物は家計簿に記入するのを徹底していれば、請求明細はネットで見られるので問題ありません。

 

主婦歴も長くなり、45歳ともなると自然と予算を守れるようになってきていて、使う時にそれほど意識しなくても入力してみるとだいたい予算内に収まるのですが、一つ私の予算を狂わせてしまうのが大好きな「コストコ」です。

 

私の住む県にはコストコがなくて、隣の県まで行かなければならないのですが、ドライがてら片道何時間もかけてコストコに行くのが楽しみでした。コストコでのお買い物自体も楽しいのですが、行く途中は自然が豊かだし、道の駅やお気に入りのお蕎麦屋さんと日帰り温泉など、ドライブコースとしても最高なので毎回買っている飲むお酢もち麦等のストックがなくなると3~4か月に1回ペースで通っていました。

 

一回行くと1か月の食費分くらい使ってしまうこともあるので、そういう時はしばらくコストコに行かない翌月以降の家計簿に1万円ずつ割り振り、それでも足りない場合は旅費から少し補填したりするようにしていました。

 

そんな私の家計管理を乱すコストコさんですが、県外にあるため最近は行きにくくなってきました。私の住む県もコストコがある隣県も田舎なのでそれほどコロナの感染者は出ていませんが、それでも日々数名~数十名の方の感染が確認されています。

 

万が一感染してしまって、お客様や施設の利用者さんに広げるようなことになったら、高齢の両親に何かあったらと考えると、やっぱり今は県外に行き来する時じゃないと自分に言い聞かせています。

 

45歳の私でも、お出かけできないことが寂しいというのに、子どもたちや若者が家族や友達との思い出を作る機会が減っているのを思うととても悲しくなります。家でできる楽しいことや家族との思い出もたくさんあるけれど、いつか良い予防法や治療法が確立されて、みんなが安心して暮らせるようになることを願って、またコストコでお買い物できる日を心待ちにしています。

 

高齢者と働くために考えたこと2

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

先日、高齢者と働くことについてブログを書いたのを読み返してみて、自分が何を言いたかったのか少し整理ができたので続きを書いてみようと思います。

 

前のブログで、経験豊富な高齢者のパートさんたちが、人間関係を悪くしがちなこと、自分でこじらせて退職してしまうのは何故なのか悩んでいて、介護の勉強で習った高齢期のパーソナリティーの5類型のことを思い出して、どんなものだったかを調べてみて思ったことを書きました。

 

自分の中ではなんとなく答えが出たのですが、それを上手く文章にできなかったと感じていて、読んでくださる方に長文の割に何が言いたいのか分からない!と思わせてしまったかもしれませんので、数日経って読み返して少し整理が出来たので追記したいと思います。

 

私は以前「嫌われる勇気」という本を読んで、アドラー心理学を知りました。有名な本なので読まれた方も多いと思いますが、私にとっては、それまでの考え方とかなり違う内容で、たいへん影響を受けました。

 

承認欲求は持たなくて良い。他人に対しても承認欲求を満たさせてあげる必要はなくて、褒めてはいけない、叱ってもいけない。という感じで、そんなんでどうやって人と関われば良いのか、最初は意味がわかりませんでした。

 

また、怒りもトラウマも存在しない。怒りもトラウマも自分の都合のためにあえて持っているだけで、いつでも手放すことができるということも、ちょっとすぐには理解できなかったのですが、今は本当にそうだと思います。

 

私は相談を受ける時、その人が自分の考えを整理して自分の力で前へ進むためのきっかけを作りたいと考えています。私にほめられることを目的にしてほしくないし、承認欲求を満たすことよりも、自分で選んで行動することのほうが大事だからです。また、ただ頼りにされて、依存させるのはたやすいですが、それでは私の承認欲求が満たされて自尊心が高まるだけで、相手の力にはならないからです。

 

共依存といって、支援者が相手のためにと思ってしていることが、ただ依存させているだけで本当は支援者が信頼を得たという自己満足を覚えて、依存されている状態に自分が依存してしまうという現象があります。例えば親がなんでもしてあげて「この子は何もできない」と子供に言い聞かせて親離れしないようにしているようなものです。少しややこしいですが、本当に良く目にする光景ですし、福祉の仕事を始めて何年かは私もそうやって自己満足していた一人です。

 

福祉の仕事をしている人の中には「○○さんが私になついてくれている。」とか「○○さんは別の職員になついてる」と言って、全く悪気なく共依存の状態を作って仕事をしている方もいますが、それはそれで利用者さんの安心感につながっている場合もあります。度が過ぎると「かわいさ余って憎さ100倍」状態になったり、利用者さん同士、職員同士がやきもち合戦を繰り広げたりという問題も起こします。

 

また、叱るのがいけないというのは、叱られる恐怖で支配するのも、叱られることをして興味を引くという行動をさせてしまうのも、本人の成長にはつながらないからです。褒められないなら別の方法で承認してもらうために、悪いことをしたり失敗を続けてしまうということも出てきてしまいます。

 

そういう経験から、自立を促すための支援には、自分に寄りかかってもらって満足するのではいけない。ほめるとか何でも手伝って依存させるのではなく、自分で考えて選び取ってもらうように支えるというスタンスに変わっていきました。

 

しかし、今回の高齢者の方に関しては、それが当てはまらなかったと思いました。高齢者の方は、年下の上司からミスを指摘された時に怒りと悲しみを覚えてそれを様々な方向に跳ね返してきます。今回で言えば、現場の年下のリーダーから注意されたことに対して、リーダーに反発を覚えるとともに、同じ業務を行う他の職員が○○したからこうなった!など方向をすり替えてなんとか自分を守ろうとしてしまうのです。それから、「私はこんなにやっているのに。」「リーダーに気に入られるためにこんなこともしたんですよ!」という言葉も何度も聞きました。褒められて頼りにされないとやってられないのです。

 

私は本人からどういう状況で何が問題だったのか時間をかけて聞き出し、リーダーはあなた一人だけでなく全員に注意喚起しているのだということや、他の人もミスがあれば注意を受けていることを伝え、グループホームなのだから、リーダーの方を向いて仕事をするのではなく、入居者さんが安心して暮らしてもらえるように入居者さんに目を向けましょうと言っても、やれ「リーダーの言い方が冷たかった」とか、「忙しく働くスタッフに感謝がない」等々最終的には「私が悪いんじゃない、リーダーや他の職員が悪い」の一点張りになってしまうのです。

 

これでは、利用者さんの支援をしているのか、パートさんの支援をしているのか何がなんだかわからなくなります。どうしたら分かってもらえたのか振り返ってみると、高齢期で体力も判断力も衰えていく最中で、多くの不安と悲しみを抱えている状態なのに、私がしていたのは成長して前進するための関わり方だったのが違和感の原因で、何もかも分かっていて謝れない相手への逃げ道をふさいで、正しいと思うことをふりかざしていただけでした。

 

上司や責任者としては、従業員に成長してよりよく働いてほしいと願うのは当たり前のことなのですが、相手が高齢者の場合は関わり方に別の一工夫が必要なのです。定年退職などで永年働いた仕事を一度離れて、ある意味一番上から一番新人になるのですから、まだまだ働ける!と意気込んで入った職場でミスしたり注意された時のショックは現役時代のそれとはけた違いに大きくて、自分への失望感が大きいのです。

 

もちろん高齢者がみんなそうなる訳ではありませんが、高齢者の場合は成長を促すよりも、低くなりがちな自尊心をなんとか維持してもらう働きかけの方が大切だと思います。具体的にいうと、例えば当たり前の通常業務をしているだけであっても「お料理の手際が良いです。さすがですね!」とか、「いつもお掃除キレイにしてくれてありがとうございます。」とか、ちょっとした「いつもあなたの仕事ぶりを見てますよ!頼りにしてますよ!」というメッセージを送ることが大切だと思います。これくらいのことを褒めたら逆に失礼じゃない?と思うようなことでも、その些細な声掛けで働く意欲ややりがいが出るのなら私はそれもありだと思うのです。

 

現役時代に当たり前にできたことが少しずつできなくなっていくからこそ、嘘ではなくて本当に「良い」と思った時にまめに言葉にして感謝を伝えることを心がけてみようと思います。そして、ミスを指摘する時はこちらが言い訳を受け止める余裕を持つことです。なんだかんだと言い訳をしたり人のせいにしてしていきますが、それは心を守るために仕方のない行動で、本当は反省しているし、今後は気を付けようという気持ちもあります。一番自分にがっかりしているのは本人なので、言い返された時には追及せずにその場を離れて頭を冷やしてもらうのが良いと思います。経験豊富で一枚上手な高齢者を追求したところで、体力が消耗するし話がこじれていくだけです。

 

自分も年を重ねていつかはこうなります。他人の考え方は変えられないから、自分が変わるしかありません。躍起になって高齢者を理屈で納得させようとするのは大変だし無理なので、老いについてもっと勉強して高齢者が活躍できる職場環境を作っていきたいと思います。

 

 

 

高齢者と働くために考えたこと

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

今日は最近まで悩んでいた仕事での人間関係について書きます。

 

私は仕事が早い方ではないし、同時進行でいろいろな所に目を配るのも苦手。私なりに真面目に仕事に取り組んでいても上司や先輩に注意されたり、言葉にしないまでも態度で意地悪をされたりすることはたくさんありました。20代~30代は職場の人間関係にいつも悩んでいて、いつも不安で悲しい気持ちがありました。

 

若い頃の私は、能力が低いことに加え、今流行のHSP(繊細さん)気質なところがあって、周囲の人の機嫌に振り回されて右往左往することが多くて、自分自身の精神状態も不安定になってしまうことがよくありました。友達といる時にもいろいろ気を使い過ぎて疲れたり、沈黙になるのが怖くてしゃべりすぎて疲れたり、私がしゃべりすぎるせいで相手を疲れさせてしまうこともあるような、ちょっと困った人でした。

 

30代で介護福祉士社会福祉士の資格を取得して、人間の発達や心理学を学んでいく中で、自分のことを良く知ることが出来たし、他の人の精神状態にも目を向けられるようになりました。ただ、そのせいで今は誰と会っても聞き役になってしまって、自分の話をできなくなってしまったことが少し悩みです。

 

以前は人の悲しみや怒りに触れると、全て自分のせいだと感じてしまって、とにかく人の感情を勝手に感じ取って勝手に振り回されるという自分の厄介な性格が自分を苦しめていました。しかも、自分の辛いという感情を人に知られるのが嫌で、いつもニコニコ平気な顔をする癖があって、本当に自分という人間に疲れていました。

 

福祉の仕事に就いてから、知的障がい、精神障がい、認知症など脳と心の病気を患った方とたくさん関わってきましたが、病気と診断されていなくても、認知のゆがみみたいなものは誰にでもあって、特に「自分が感じていることと他人の感じていることは違う」ということが分からなくて苦しんでいる人が多いことに気付きました。

 

読書が好きな方なら、心理学の本でもビジネス書でも、「他人を変えることはできない」と書かれているのを読んだことがあると思います。それからこの文章もいくつかの本に出てきて、忘れないように大事にしているのですが、「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」という文章で、様々な本で引用されていますし、過去に職業訓練でPCを習いに行っていた時も、福祉の専門学校の授業でも、先生がこの文章を取り上げていて、この文章に触れるたびに、私もこうありたいと思います。

 

人は自分の価値観だけで物事を考えてしまいがちですが、相手には相手の思惑で変わりたくない。変える必要がないと思っているかもしれないのだから、考えを押し付けてはいけないし、無理やり変えようとすることは間違っている。頭ではわかっていても実践するのはとても難しいことです。

 

最近、本業の会社でも副業の福祉関係でも、定年退職後に新たに働き始めた年長者と仕事をする機会が多くなりました。私が社会人になって27年ですが、その倍近く働いてきた方たちなので、様々な人間関係のトラブルを乗り越えてきたと思います。それなのになぜか、自分から人間関係をこじらせて最後には居づらくなって退職してしまう人がいるのです。

 

退職に至るまで対面や電話で何度も悩みをお聴きして、私が感じたのは自分のミスや自信の無さを、他者を悪く言うことでごまかそうとして、どんどん周りを敵にしてしまうということです。そんなことでは信頼関係が築けないのは分かり切っているのになぜそうなるのか私なりに考えていて、高齢期のパーソナリティーの5類型みたいなものを読んだのを思い出して調べてみました。

 

高齢期のパーソナリティーには円熟型、安楽椅子型、自己防衛型、外罰型、内罰型の5種類があって、文字からだいたい分かると思いますが、簡単に言うと円熟型は全てを受け入れて安定している状態。安楽椅子型は老いに甘んじて他者を頼っている状態。自己防衛型は老いを受け入れないために自分を守ることに必死な状態。外罰型は老いを隠すために他の人を罰して(ミスを指摘したり悪口を言う等)自分の価値を高く見せようと踏ん張っている状態。内罰型は老いてしまったことに落胆して自分を責めている状態で、それぞれの型どれかに当てはまる訳ではなくて、その日その日の体調や出来事によってそれぞれの型を行ったり来たりするものです。

 

私は祖父が88歳で、祖母が98歳で他界しましたが、私が結婚するまでは実家で一緒に暮らしていました。祖父は完全に円熟型で、アルバイトに庭仕事、家の掃除もよくしていて、いつも穏やかに家族を助けてくれました。町内会でも頼りにされて、お通夜には会場に入りきれないくらい友達や近所の方が来てくれました。そんな祖父でもやはり、時には些細なことで怒って家族をびっくりさせたこともあったので、やはり晩年は5つの型を行き来していたのだと思います。

 

祖母は80代までは元気過ぎるくらいだったのが、90代で認知症になってからは、時間帯によって穏やかに過ごせる時もあれば、自己防衛型から内罰型までを行き来して、怒ったり泣いたりたいへん苦しそうな時もありました。元気で世話好きだった祖母が認知症になったショックが大きく、私も家族もなかなか受け入れられずに悲しみや怒りが湧いてくることもありましたが、たまたま専門学校でこの5類型を勉強したことで、祖母の1日の中で目まぐるしく変わる精神状態を、少し冷静に見ることが出来たことを思い出しました。

 

感情のコントロールを失って退職していく高齢者の方たちは、一見元お元気だし、気が強くてわがままなように見えます。自分の事を棚に上げて他の人を悪く言う姿は見ていて気持ちの良いものではないし、とにかく自分を褒めたたえてほしい一心なように感じて、いい歳をして承認欲求の塊みたいな発言ばかりすることに少し呆れていましたが、そういう私の考えは間違っていたと思います。老いを受け入れていく過程でゆらぎの多い自分を保つために必死な状態であると考えたら、私もどう支えていったら良いか方法を考えられるような気がしてきました。

 

まだ具体的に体系だったことはできていませんが、現実問題本業でも副業でも高齢者のパートさんたちは貴重な存在だし、せっかく一緒に働くならなるべく楽しく働いてほしいと思います。高齢者のそういう揺れ動く心に寄り添うには、かなりの精神力が必要ですが、少し知識があるだけで、相手を思いやることができるし、自分の心を守ることができると思います。

 

老害」という言葉が大嫌いなのですが、以前は高齢の方が自分を卑下して「老害」という言葉を使っていたと思います。それを最近は若い人が使っているのを見ると、とても悲しくなります。同じ理由で「オワコン」という言葉も嫌いです。そういう言葉を使う人は自分も必ず老いて死にゆく人間だということを忘れているか、考えないようにしているのかもしれません。まあ他の人の考えは変えられないので置いておいて、私はなんとか円熟型のおばあちゃんになれるように、終わりを意識しながら今を大切に生きていきたいと思います。

 

 

ブログのタイトルを変更しました

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイアを目指しています。

 

ブログのタイトルを「45歳から目指す55歳早期リタイア」から「45歳から目指す55歳セミリタイア」に変更しました。もともと55歳で完全に仕事をやめるという考えではなくて、今経営している会社の他に福祉事業を立ち上げて、そちらのほうは働ける限りずっと携わっていくという計画なので、早期リタイアよりもセミリタイアのほうがしっくりくると思ったからです。

 

今夫と経営している会社は下請けがメインなので、お客様の都合に合わせて動かなければならないことが多く、急に今日来てほしいと言われたり、日程変更で急に時間が空くこともあります。休日であってもお客様から「今日やってもらえると助かるんだけど。。。」と連絡をいただくと、やっぱりお役に立ちたいという気持ちで出動することもあって、家を離れて旅行にでも行かない限り完全に仕事から離れることはできません。

 

今は2人とも元気なので、特に予定もなく家でテレビを見ている日であれば、休みの日の急なご依頼もその分売上が増えるし、電話に気付かなかったら他の業者に仕事が回っていたかもしれないと思うと、ご要望に応えて仕事ができることは嬉しいことなのですが、旅行などで対応できなかった時は申し訳ない気持ちになるし、もしかしたら他の業者さんに行ってしまったかもしれないと考えると不安な気持ちにもなります。

 

実際は、「どうしても今日無理なら休み明けなるべく早く来て!」と言っていただけることがほとんどですが、他の業者さんとも取引のある方であれば、やっぱり困っている時に駆けつけてくれた所に次も頼もうと思うのが自然なことなので、休みの日でもついつい仕事のことを考えてしまいます。

 

夫自身は休みの日に仕事をするのは嫌じゃないし、得した気分になって嬉しいそうです。かといって65歳や70歳までそれを続けるのは厳しいと言っています。視力が悪くなったり、足腰を悪くしたらできなくなる仕事です。実際、夫の父も視力が落ちてからは仕上がりが悪くなり、60代頃から夫のアシスタント的な仕事に移行していきました。私たちには跡継ぎがいませんし、そもそも今の事業内容のままでは20年後まで需要があるかはわかりません。ただ、5年後までなら売上を増やしていける見込みがあるし、10年後もまだ需要がなくなることはないという見通しは立てられるので、セミリタイアを10年後の55歳に設定しました。

 

利益が出ている今のうちに50歳頃までにはある程度老後資金を貯めて、本業を辞める時までにもともと私の仕事である福祉事業を立ち上げたいと思っています。正直福祉事業で老後資金を貯めるのは不可能なので、福祉事業での収入は社会保険料の支払いと最低限の生活費を賄って、配当収入と家賃収入を旅行費用や、やりたいことを叶えるために使えるようにしようと考えています。

 

福祉事業は年金がもらえるようになるまでに若い方に管理者を交代してもらって、年金受給が始まったら私たちは報酬は受け取らないで、理事長としてボランティアで関わっていけるようにしたいというのが私の妄想の中の未来予想図です。簡単なことではないけれど、まずは50歳までに最低限の老後資金を貯めるという目標からクリアしていきたいと思います。

 

念願だった自転車を買いました

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

15年ぶりに新しい自転車を購入しました。子供のころから自転車に乗るのが大好きで、たまに無性に自転車に乗りたくなる時があって、何年も前から自転車がほしいと言っていたのですが、夫に話すと即答で「買いなよ!」と言われるので、いつでも買って良いのだと思うとなんだか満足してしまって、ずっと先延ばしにしてしまていました。

 

ずっと先延ばしにしていたのにどうして今回購入に踏み切ったのかというと、本当に運動不足がひどすぎて、セミリタイアできるまでにもっと動ける体になりたいと思ったのと、昨年から続くコロナの影響で、旅行のためにとってある予算をほとんど使っていなかったので、今こそ念願だった自転車に投資しようと思ったからです。

 

いつもならお盆休みは関西に旅行するのが定番で、飛行機代とホテル代だけでもいつも夫婦2人で15万はかかっていました。それが昨年からコロナの感染予防のために行けなくなってしまいました。

 

お盆だけでなく、ゴールデンウイークやその他の連休も近場の温泉旅行や日帰りのドライブで、旅行のためにとってある予算がかなり余っていたので、使うためにとってある予算を全部貯金に回すのではなく、今の自分たちの生活を豊かにするために投資しようと考えました。

 

夫には予算10万円くらいで、お盆休みに入るまで何に使うかじっくり考えてもらっています。

 

私は前から目を付けていた品揃えが多くてお店の雰囲気が良さげな転車屋さんに行って、デザインが気に入ったビーチクルーザーと、最新の電動自転車を試乗しました。電動自転車はすぐにスピードに乗れてとっても楽なのですが、運動不足解消の目的もあるので、タイヤが太くて安定感抜群で運転しやすく、何よりもデザインが最高に気に入ったビーチクルーザーに決定しました。

 

自転車の代金の他に、サドルが盗まれないようにするチェーンロックと、タイヤに予め薬品を注入して、釘などを踏んでも小さな穴なら自然とふさがるというものを入れてもらったり、登録代などもろもろ含めて5万円以内に収まりました。

 

貯金が少ない人や生活防衛資金をまだ貯めている最中であれば、余った予算を使わずに貯めておくのも良いのですが、リタイアに向けての資金を計画的に貯め続けているのであれば、残った予算まで将来のために残そうとするよりも、今したいこと、今だから価値のあることに使うほうが人生が豊かになると思います。

 

今回久しぶりに自転車に乗ったことで、将来日本中を旅する時には、ミニベロ(タイヤの軽が小さな自転車)を2台車に積んでいって、自転車で各地の街歩きをするのも良いなーなどと、新しい夢もできました。夫が10万円を何に使うのかも楽しみにしていようと思います。

 

持家と賃貸問題2 家を買う時のお金について

 こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

前のブログでは、持家って本当に損なの?という疑問について書きました。私が目にする発信者はほとんどの人が賃貸を推奨しているけれど、古家や古い倉庫から家賃収入を得ている経験から、家を所有するのがメリットになる場合もあるのではないかというのが私の考えです。

 

とはいっても本当にケースバイケースで、貸している物件で思いがけず多額の修理代が発生したり、貸すにも売るにも需要のない土地の固定資産税を払い続けていたりと、デメリットも体験しているので、それを踏まえて書いていきたいと思います。

 

 まずクリアしなければならないお金の事。私の実体験として、夫の親が少ない頭金で70代後半までローンを組んで家を建てたために、そのローンを背負わされて今も払い続けている経験から、頭金を貯める能力のない人は家は買わないほうが良いと思います。夫の両親の場合、ローンが終わる前に母は他界して、父は病気で障がいが残り、施設に入っています。今の団信保険には高度障害になった場合にもローンの支払いが終了するタイプがあるようなのですが、我が家の場合は父が死亡した場合のみの保険だったので、車いす生活になって収入がなくなってもローンは残りました。

 

ちなみに私の両親は退職までに貯めた自己資金で一括払いで老後を過ごすための家を建てました。もともと住んでいた家は事務所として貸し出して家賃収入を得ています。こんな風に書くと夫の親だけを悪く言っているように聞こえるかもしれませんが、事実なので仕方ありません。

 

若い方でも、頭金をしっかり貯められる人でなければ、家は買わない方がよいと思います。今回のコロナショックでも失業したり、収入が減少してしまった方がたくさんいますし、私自身もリーマンショックで職を失ったことのある一人です。リーマンショックのニュースを聞いてもアメリカで大変なことがあったんだなーと自分に関係あることとは思ってもみなかったのに、派遣切りを宣告された時の悔しさは今でも覚えています。たとえ若くても、経済危機やケガ、病気などでローンが払えない状況に陥る可能性はありますから、頭金プラス1年は、働けなくても生活できる生活防衛資金を貯めてから購入を検討することをお勧めします。

 

ちなみに生活防衛資金が1年分くらいという理由は、失業の場合は失業手当があるのでその受給期間プラス1年も猶予があれば、再就職は十分できると考えるからです。。また、病気やケガの場合でも、会社員なら傷病手当金がありますし、プラス1年分の自己資金があればそれまでにたいてい職場復帰できると思います。経営者の方や、養う家族のいる方は収入保障の保険なども検討されるとよいと思います。

 

一番心配なのは、治療に時間のかかる精神疾患や、後遺症などで長期間働けなくなって貯蓄が底をついてしまう場合です。いくら心配だからといって、何年分もの生活費を予備費として貯めるのは現実的ではありません。どうしても足りなくなった場合は生活保護を申請することになります。生活保護を受けるからと言って、必ずしも家や車を手放さなければならないわけではなく、生活を維持するのに必要と認められれば、持家を手放さなくても保護を受けられる場合もあるので、その時は役所で相談してみましょう。

 

とにかく家を建てたいと思ったらまずは頭金です。そのお金を貯めている過程で、本当に自分が住みたい家はどんな家なのか、ずっとその場所に住み続けることができるのかじっくり考えると良いと思います。考えた結果、賃貸で自由に場所や間取りを選んで住み替えていくほうが合っていると思えば、それはそれで良いのですから。

 

 

 

持家と賃貸問題1 本当に持家って損なの?

こんにちは!もっぷるです。

 

45歳からスタートして55歳でセミリタイア(遅めのFIRE)を目指しています。

 

今日から4連休ですね。私は請求書の発送が終わっていなくて今日は少し事務仕事をします。自分で事業をしていると、休みの日でもしようと思えばいくらでも仕事をしてしまうので、今日は事務仕事とお掃除。明日から3日間は完全に休もうと心に決めています。

 

さて、今日は家のことについて書いてみようと思います。情報収集大好きな私は今までいろんな方の本やブログ、Youtubeなどを見ていますが、ほとんどの方が賃貸が良いと発信されていて、持家が良いと書いてあるのは一部の雑誌ぐらいのように思います。

 

持家は損だとか、無駄使いだと発信されている一方で、そのように発信されている方の中には、実は投資用にいくつも物件を持っていて、家賃収入を得ている方も多いと思います。

 

現在はライフスタイルに合わせて好きな場所で賃貸で暮らしているけれど、将来住みたい場所に家を買って上手く運用すれば、購入してローンの返済は賃貸で貸し出して家賃収入で支払いを済ませて、最終的に自分で住むこともできるし、そのまま賃貸物件として収入の足しにするという方法もあります。

 

私たち夫婦の場合は、両方の実家が持ち家の他にも物件を持っています。どちらも古い家だけれど、それでもローンが終わっている家の家賃収入はバカにできません。

 

もちろん住んでいる地域によって条件は変わるでしょうけど、頭のいい人の話を鵜呑みにして、持家は損、持家は無駄遣いと思い込んでいるのはもったいないなーと感じます。

 

これから住宅が供給過多になって、空き家が増えると言われているので新しく購入する方は慎重に調べて勉強しなければなりませんが、既に相続などで持家のある人は、その活用をしっかり考えれば、経済的自由に近付けるかもしれません。お給料や役員報酬の他に家賃収入があれば、個人の家賃収入の方には社会保険料がかからないというメリットがあるし、修繕が必要であれば経費にすることもできます。

 

とにかく何でも一長一短あると考えることが大切です。持家はダメだと声高らかに言っている人にとって、それを鵜呑みにして賃貸物件を借りてくれる方はお客さん候補になること。反対に持家は資産です。将来売ることも貸すこともできると言う住宅メーカーの方にとっては、それを信じて家を買ってくれる人がお客さんです。

 

どっちの言い分も一理あるから悩ましい所ですが、自分にとってはどちらがベストか自分の頭で考えていかなければと思っています。